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by atsu_at3
| 2015-04-11 19:50
| あなた
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by atsu_at3
| 2015-04-11 19:36
| あなた
「考えは考えしか生まない」
師匠は言っていた。 彼女は20代の頃、何も考えずに行動が先なタイプであり、そうとう無駄な動きが多かった。 無駄な動きが多かった。なにも顧みずに今思えば痛い思いもした。 当時は、痛いと思うことさえもなかった。痛いと思う前に次が始まっていたからだ。 あれこれ考える暇も、そしてそんな頭もなかった。 一つ一つ落ち込むこともないから、すべてが笑い飛ばせるジョークが増えた。 やりたいことはすべてやり、自分にとって必要なことだと思ったらどんなことでもやっていた。 誰かに相談する間もなく、もうすでに始まっているタイプで、無謀で損を損とも思わず、 それが例え自分にとって損なことだったとしても、それも一つの経験であり、誰かに役にたったと思えるある意味お幸せな人であった。 そんな彼女にいままでにない衝撃なタイプの人に出逢った。 歩き方も一つにしてもスマートで、動きも効率よく、話し方も落ち着きがあり、 賢くかっこよく、無駄な動きはまったくない。自信満々で冷静沈着であった。 どれだけ今まで頭を使ってこなかったか、、、 どれだけ無駄な動きが多かったか、、、 どれだけ体当たりであったか、、、 彼女は考え始めた。 どうしたらもっと効率よく、どうしたらもっとスマートに、どうしたらもっと慎重かつ賢く生きられるのだろうと、、 すこしは賢くならないと、少しは考えて行動しないと、少しは頭脳派に近づかないと。。 ない頭を駆使して、空回り、すべて逆の結果になるのは今考えれば当たり前。 歌を忘れたカナリアのように、笑いを忘れたアホウドリになっていた。 自分の得意は行動派であった、 それに頭脳も加える一つのきっかけにしかすぎなかったのだが、頭脳派になろうとしたのだ。 今思えば気づく、そのときは必至である。 一つ一つ必至になることは必要だが、ずーと笑えないときには、なにか必至すぎているのだ。 もっとフランクに、もっと楽しく。人生はそんなに難しい構造になっていない。 自分で難しくしているのだ。 頭脳と行動のバランスが必要なのだ。 頭脳が不得手ならば、得意な人に任せればよい。 行動が不得意ならば、得意な人に任せればよい。 人に任せられない人は、自分しか信じれない人かもしれない。 任せることが出来る人は、人を信頼することが出来る人。 信頼するのは、相手を信じ切ることでない。(人を信じ切る人は裏切られた―という発言になる) 信頼した相手、そして信頼した自分を信じ切ることだ。 彼女は、やりたがり、したがり、欲張りだった。 全部自分でできたらいいのだが、それはある意味欲張りである。 そう、彼女は欲張ったのだ。 欲張ったおかげで痛い思いもしたが、少しは考えることもできるようになったのは確かかもしれない。 ただ一旦考えることが身に付くと、今度はそれを消すことが難しくなる。 知らず知らずに考える癖がついていたのだ。 考えは考えしか生まない。 師匠の言葉は、そこにあった。 頭脳派は、いかにスマートに、いかに効率よく、いかにかっこよく。 それは、知らず知らずに自分を守る方向に成り得ることもあり、 それは、しっかりとした考えのもと行動が確固たるものにも成り得る。 行動派は、やりたいことはやる。やればわかる。 それは、ただ「やった」というだけに成り得ることもあり、 それは、しっかりと身に付く体感、発見、充実、次に繋がる糸口にも成り得る。 頭脳と行動がミックスされて経験値が深まるものであり、 頭脳と行動のバランスである。 どんなに頑張っても、どんなに必死になっても、 頭脳と行動、すべて100%とはいかない。 100%以上のものにするには、自分を信じ、相手を信じることである。 考えがあって行動があり、行動があって考えがある。 #
by atsu_at3
| 2015-04-04 05:00
| 物語
始まりは必然的に。
そうなるのは決まっている。 それが早いか遅いかの違いだけだ。 そしてそれは、貴女にとっては遅くもなく早くもない。 早かれ遅かれ、そうなるのは決まっている。 焦ることもなく、躊躇することもなく。 その時期が貴女にとってのBest of Time. ------------------------------------------------------------------ 周りの評価も関係ない。 賞賛されることも、そうでないこともある。 それはただそういう時期であり、そしてまたそういう心の状態なのである。 賞賛されるときは、大概、賞賛されたいとか、こうなりたいとかはなく ただただ好きだからの理由で無我夢中にやった結果であり、そこには邪心はまったくないときである。 結果を期待したり、評価を気にしたり、褒められたいとか、見返りを期待しているときは、 大概なにをやっても評価は低いであろう。 作品にしても、仕事にしても、心が反映するものである。 ------------------------------------------------------------------------- その時々の時期にどう捉えるか、どれだけ自分と向き合えるか、 何に気づくか、どこまで気づくか その気づきの度合によって、次の経験に活かされる。 これからも良いことそうでないこと様々なことがやってくる、その経験は避けられない。 どんな経験でもすべて有難いことであり、すべて必然的にやってくる恩恵である。 一見恩恵に見えない事柄も、すべて良い方向に向かうようにできている。 越えられない壁はないということはそういうことだ。 その1つの経験でどれだけのアイテムを獲得できるかで、 経験値や対応能力、見方、捉え方の次元が変わる。 そして何が来ようとも恐れることはない。 その時期がくるのは決まっている。 様々な経験は、その時々のテストであり、小テストもあり、中間テストもあり、期末テストもある。 同じ問題には同じ間違いはしなくなる。同じ問題でなくても克服する力がでてくる。 そして、そのテストという経験は留まることなく、常に動き過ぎ去り変化し続ける。 -------------------------------------------------------------------------------- 周囲からみれば、貴女のその経験の時期が、遅いかもしれない。 あるいは早いかもしれない。 しかしそれは周囲から見る時間軸。 そして、周囲からみれば、その必然の経験は良いことかもしれない。 あるいはそうでないことかもしれない。 しかしそれは周囲からみる見解。 周囲というのは、他人だけでなく、貴女の心の中にもある。 人の心には、本心と邪心が入り混じる。 本心は、一本筋が通っている。一本気でもある。 邪心は、いろいろな心が入り混じる。 相手の心。周囲の心。自分の心。過去の心、未来の心。 色んな目線でみると、色んな線が見えてくる。 それが邪。一本でないヨコシマ。 あなたは今日、あなた自身を、どんな心、どんな目線でみてますか? 本心でもない、邪心でもない目線がある。 それは、第三の目。 --------------------------------------------------------------------------------- 貴女の心には、ブレそうでブレない芯がある。 ブレる心とブレない心。 ブレそうになったときこそ、柔軟を楽しみ、そしてまた本心に戻ればよい。 芯は頑なになればなるほど、折れやすい。 本心は、一つのことしか見れない弱点もある。 邪心には、多くの色がある。邪心を経験し豊かな色につながるであろう。 経験が多いほど、艶が出るというのはそういうことであり、 人間らしさ、人情深さ、色鮮やかな色彩で人々を楽しませるところまでいけるには 色を学び、色を作り、色を奏でる必要があり、貴女は今はその過程でもあるのだ。 人は時に、道で迷い、色で葛藤をすることがある。 そんなときは、大概、決まっていることを、自分で決めようとしているときであり、 どっちが正しい、どっちの道だ、どっちが前か。 それは、考えて決めるものではない。 そう、気づけば決まる。決まっている。 あなたは、今日どんなことに気づきましたか? #
by atsu_at3
| 2015-04-01 05:00
| 整理整頓
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