ものの見え方

ものの見え方


< 初めに > 「光の性質」

「光の粒子」
「物体」「あなたの目」 三つの要素が織りなすコラボレーション。

照明あるいは、太陽から放たれた光の粒子物体に触れて反射し、その光の粒子の一部が目に飛び込む。

あなたの瞳に飛び込む速さは、なんと時速10億キロメートル。あなたの目をめがけて一直線に飛び込む。その光の粒子を捉えた瞬間、光の粒子はあなたの体と一体化
あなたの目の角膜内の分子と反応したその光の粒子が、貴女の脳にその物体の映像を見せている。

極論で言えば、あなたはその物体を見ているのでなく、その物体に反射した光を見ている。



参考文
さくら剛さんの「感じる科学」
「光の性質」 P16.17


なるほどぉーーー!
と感じたところで、本文に続く。


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<本文>


時に、「この世のものはすべて幻だ」
という言葉を耳にすることがありますが、

人は、現実を?、幻を?、見ているようで、見ていない。見ていないようで見ている。
物体を見ているようで見ていない。光の粒子を見ていないようで見ている。そういうことでもある。

目に見えるものよりも見えないものに何かがあると感じていたのはそういうことでもあるのだろう。

同じ瞬間、同じ太陽の光で、同じ物体を見たとしても、光と体が一体化した後の反応はみな違う。

同じ物体を見ても、見え方は人それぞれ、十人十色・三者三様。
リンゴを表から見たのか裏から見たのか、そもそも裏も表もあるのかないのか。
上から見たのか下から見たのか、リンゴを見たのか色を見たのか、リンゴの丸みを見たのか、くぼみを見たのか。同じリンゴを見ても結果はまったく違う。


物の見方は、人それぞれで、その時の状況や、立ち位置、脳の育て方や経験値でまったく変わる。

経験値の少ない方は、リンゴと言われれば、絵にかいたようなリンゴしか浮かばない。
経験値の多い方は、リンゴと言われれれば、切ったもの・煮たもの・すったもの・料理に混ざっているもの
リンゴを見た瞬間にも色々な情報が頭に入っている。
選択肢が多ければ多いほど活用術が増える。そして時には選択に悩むこともある。
選択肢が少なければ、一つを貫く強さもあり、そして何よりシンプルである。そして活用時には悩むこともある

どちらがいいかなんてものも、どちらとも言えない。
その時々の状況にもより、その時々の考え方にもより、答えなどない。


「なに!時々で考えが変わるのか!」

信念がないと言えば、聞こえが悪い。
臨機応変と言えば、聞こえが良い。

よってこれもまた答えはない。


時に「私が悪いのか。間違っているのか。お前が正しいのか」
そういう言葉を耳にする。

なにが正しいかどうかなんてものは、それこそ幻である。

そのときに、そう感じたこと思ったこと。ただそれだけである。
それが正しいかどうか、その結果は時代と共に、時と共に、年齢と共に変化するものでもある。



人は時に、(多くの人が?) 間違えないように、間違えのないように、正しい方向に、清く正しく美しく。
そういう方向を目指しますが、
間違ったなーと思ったことが結果的に良かったり、
良かれとしたことが、結果的に良くなかったりしたりすることもあるのではないでしょうか。

なにが良くて何が正しいかということよりも、

その物、その問題に直面したときに、そこでなにを感じたか、感じるか、なにをもってそう感じたか。
悲しみの感情か、怒りの感情か、喜びの感情か、怒りからくる悲しみなのか、嬉しさからくる悲しみなのか、悲しみからくる怒りなのか。安心からくる喜びなのか、嬉しさからくる喜びなのか。

人の感情は、シンプルであり、そして複雑である。


そして、先の「光の性質」に、「光の粒子を捉えた瞬間、あなたの体と一体化」とあるように、

物体から反射した光の粒子を捉えた瞬間、あなたと一体化して何かを感じるのである。


何を捉えるか、何を意識するか、で目に入ってくるものが変わってくる。
目に入ってくるものは、脳が反応する。
心地よいもの、気持ち良いもの、笑顔でいられること、を意識するだけでも、目に入ってくるものが変わる。


一つの脳内革命になるであろう。


「なにーー!嫌なものから逃げるのか!避けるのかーー!それでいいのかーーー!!」
という声がどこからか聞こえてきた。

そういうことではない。わざわざイライラすること悲しみに感じることに目を向けるなということである。
目を向けるなと言っても、先にあるように、「光の粒子があなたの瞳に飛び込む速さは、なんと時速10億キロメートル」避けきれない問題・感情は必ずでてくる。なので、そこから逃げればいいという話ではないのだ。

どうしても消えない問題・感情に対して解決する方法は、自分の感情を上手に伝える術を持つことである
自分の感情をまず知ることである。
誰に何を、どんな感情を知ってもらいたいのか、そしてそれを誰にどうどう伝えるか。

問題に目を向けるときは、光の粒子(問題)が、物体(相手)を反射して、まず体に一体化したことを認識し、角膜内で反応したその光の粒子が、あなたの脳でどう感じてどう問題となっているのか、まず知ることである。

誰かに相談することは、知り得なかった感情、今までにはなかった新しい感情の発見や、新たに自分を見つめる時間であったり、新しい考え方に切り替えるタイミングだったり、心の整理をすることでもある。

心の整理ができたら、終わりではない、想いを伝いたい人にきちんと伝えることも必要である。
心がスッキリしないのは、伝えたい想いが伝えきれないときに起こるものである。

伝えきれないもどかしさが哀しみなったり、怒りになったり、感情の方向が別物になることもある。
人への伝え方、コミュニケーション。スキンシップ。人には欠かせない要素である。
それこそ、目に見えない光の粒子と同じで、本当に大事な役目なのである。


誰かが何かをしたからとか、何がどうだからとか、なにが良くて悪かったとかではない。
すべて、大事な何か、自分の中の何かを気づかせるために起こることである。


太陽か照明か?(問題の発信源はどこか?) リンゴかみかんか? (そこに問題あるからか?) の話ではない。問題となった後の脳内の反応なのである。
こういうところでこういう反応するのかー。こういう感情になるのかー。そういう想いがあるからそういう感情や行動になるのかー。と常に冷静に、自分を見つめることでなにかが見えてくる。
それを見せるための光の粒子であり、物体なのだ。

何かどうとか誰がどうとかでなく、その時あなたの脳でなにが起きてるか、どんな感情になっているのかに視点を変え、見つめなおしてみるとなにかが見えてくる。気づかせるなにかがある。
そこに気づけば、一つ一つ問題は解決する。一度解決した問題は、問題にはならないものである。

「相手がいてこそ、自分を知ることができる。」という言葉の所以もそこにある。

自分を見つめ、自分の感情を知ること、その時々の感情と向き合い目を背けず認め、伝える勇気と強さも必要である。


視点を変えれば、脳内が見せる映像もまた変わってくる。
思考を変えれば、脳内が見せる映像もまた変わってくる。

「自分が変われば、相手も変わる」と言われる所以もここにある。


「光の性質」から話がここまで発展したが、
答えは自然の摂理にある。ということも実感した。


「答えはない」という答えは知っていた。
それでもなお、答えを探し求め続けてきたあなた。
カラクリが見えてきた今、もう答えを探すことはないであろう。




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<終わりに>

なぜリンゴは赤いのか。。。
赤いから赤いのだ。。
光の反射によるものだ。

「なぜリンゴは赤いのか」
一見、基本的な質問のようだが、奥の深さを感じていたこのテーマ。
そこから、ここまで繋がった。


文章が長くなった。
これもまた誰が読むか、なんのために書くか、面白いかどうか、長いか短いかは問題ではない。
頭の中を整理するには大事な過程である。

たったニページの光の性質からここまで話が発展したことに自分でもビックリだ。


ビックリしたところで、今日はここまで。
by atsu_at3 | 2015-07-25 19:00
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