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光と波の調和 1  

       - 光は、波であり、粒子である -



彼女は常に、本を片手に何かを考える癖がある。
いや、本がなくとも常に何かを考えている。。

 何を考えてたの?

今何か考えてたね。なんだろうね。。

何を考えていたのかさえも、掘り起こさないと出てこないほど、たくさんのこと。
何時のこと、誰のこと、何のことともすぐに出てこないほどあっちこっち、そっちこっち。

ただ分かっているのは、頭の中は(??hatena.hatena)の疑問詞ばかり。
ハテしナき、ハテナが巡っている。いや、恵っているのだとオモイタイ。

そう彼女はいつも忙しくない時でも、忙しい、、、
   猛烈に忙しいときこそ、頭の中は平穏なほどである。


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ある日のこと、彼女の前に新たな本が一冊飛び込んできた。

 
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なんだこれは。。。
量子学の話。。。
子供向けなのか、大人向けなのか、、、
興味は深々、そうなったら彼女はもう止まらない。

 パワレルワールド・・・
 ビックバン・・・
 シュレーディンガーの猫・・・

興味深い話に彼女はすっかり食いついた。
彼女には、尊敬なる師がいる。
その尊敬なる師は、宇宙の始まりビックバンから、少しまえまでは不思議な世界だったパワレルワールド、そして心・技術・体の一体化等、多岐に渡る分野を解りやすく丁寧に、いつも話をしてくれていた。
そして言葉だけでなく、より多くのことを実際に身につける場を設けてくれている。
彼女の口から嵐のように降り注ぐ多くの質問にも、より良い方法で伝えてくれていた。
だからその本の内容は、スッと彼女の体に入っていった。

 


ふむふむ。へぇ。ほぉ。ますます良く解ってきた。
む?むむ?むむむむむ?

二つの言葉が彼女の目に焼き付いた。
なんだ?なんだ?


彼女の中にまた新たな[?hatena]が始まった。
その[?hatena]は、その本を手にしたときから始まっていた。
いや、手にするその前から始まっていたのかもしれない。
それは、必然か、偶然か。。
(タマゴが先か、ニワトリが先か、それは永遠のテーマである。)

その言葉とは。。



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「光は波である」

「光は粒子である」


ん?どういうことだろう?どういうことだ?


更に、言葉は続く。



 「光は、波であり、粒子である」




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益々[?hatena]が増えタッタ。。。


そう、彼女には「考える癖」の他にもう一つあったのだ。

それは、
一度[?hatena]が生まれたら、必ず「sokoka---!」が生まれないと気が済まなかった。
なにがなんでも気が済むまでトコトントン。


今の彼女には、もう分かっていた。
「[?hatena]が生まれる場所、そこには深い意味が隠されていると。」
ただ、その深い意味はまだ分かっていなかった。



その内、分かるだろうとほっといた。


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降りてきた。
小さな滴(しずく)が降りてきた。というより降ってきた。


    「光は、波であり、粒子である」
    その心は、、、



 波に対応できるものこそが光となり、自らが波であり粒子であることを自覚するものこそが光となる。



 どんな波(時期)であろうと平常心で、堂々と、リラックスした気持ちで波に乗り、そして波をつくる。
 波に呑まれないように、力を抜いて自由自在にそして余裕をもって、景色を楽しみ、風を楽しみ、感覚を楽しむ。そして、どんな時であっても宇宙の大きさからしてみればちっぽけなことである。

 去勢を張り、頑張って頑張って大きな波に見せたとしても、元はと言えば小さな粒子。
 小さくなって小さくなって震える波であっても、力を発揮したときには津波までにもなる。
 
 粒子を感じ、滴(しずく)を感じ、水を感じ、ただただ波を感じることから始めよう。
 そこには、悪意も善意もない。自然の摂理に身を任せ。

 自然。それは、、

 自 = 己
 然 = 1.肯定・是認
      2.その状態

 己のその状態をまず肯定し、認めること。

 誰かに認めて欲しいという欲求は、この世に蔓延しており、そのイタチごっこにすぎす、
 追い求めても追い求めてもキリがない。

 まずは自らの行動・発言・想いを認めよう。
  (そのすべてが良いということではなく、それは良くなかったということも素直に認めることも含め)

 自らを認められない者を、他の誰が認めようとするだろうか。。
 自らを認められない者が、他の誰を認めようとするのだろうか。

 そして自ら先に、自他共に認めることができた者こそが、自然と他も認めてくる。
 


 大きい波であろうと、小さい波であろうと波は波である。
 一粒の滴(しずく)から始まり、それは更に小さな粒子から始まっている。
 一粒の滴(しずく)を見て、ただの滴(しずく)と感じるか、恵みと感じるか、偉大だと感じるか、ほんのちいさな滴(しずく)を見逃さない者が、波や光(粒子の集合体)をつくる。



 
 時には不純分が混ざった滴(しずく)もあるだろう。
 それを確認できたとき(確かに認めたとき)に、初めて浄化されピュアになれる。
不純物でさえも、何かに気づかされるためにはとても必要な過程なのだと。
 不純物を恐れるなかれ。それもまた然り。
 

 滴(しずく)とは、己の小さな情緒のことかもしれないね。
 
 そして、最後に人の波を感じるまえに、自然の波を感じよう。
 そう、どんなにどんなに小さくとも滴(しずく)から認め始めよう。




 貴方は今、どんな滴(しずく)を感じましたか?
by atsu_at3 | 2015-02-18 07:07 | 物語
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